創価大学出身の教員
創価大学にも学会活動に熱心でない生徒は存在する。
そんな生徒の創価大学の志望理由が
親に言われたから
である。
そんな生徒はたいていは、活動熱心な生徒を煙たがっている。
あいつは活動熱心なくせに○○だ
などと人の批判に一生懸命だ
別にそれは、一向にかまわない。
しかし、そんな生徒ほど「教員」になりたがる
人間に不満が一杯で、
自分の進路も人に決めてもらい
何かあったら、親が決めたから自分の失敗じゃない
そんな人間が、人様の指導をする立場に立ちたがるのである
親や周りの声による
「教員はすごい」
という洗脳に自分がかかっている事に気がつかないのである
まぁ、そんな奴は、たいていは教員になったら
「なんで俺がこんな餓鬼どもの面倒みなきゃなんねぇんだよ」
という嫌われ者教員になるのがおちだが
創価大学出身の教員にはこの手が多いので
大学名だけで
宗教熱心
という判断はしてはいけない
たいてい創価大学出身の教員は
人間のクズ(性欲まみれ、ニコニ●動画・2●ゃんづけ、教員は生徒とやりまくっているという妄想を抱いている、大学生も毎日やりまくっていると思っている、人を外見で差別する、自分の外見が悪くても棚に上げる、てか自分の姿だけなぜか美形に見える)
である